女優・政治家としてもご活躍された山口淑子さんですが、
結婚歴はあるものの子供がいた話がありません。
ほんとうに子供がいなかったのか、検索しまくり調べてみました。
山口淑子とイサム・ノグチのあいだに子供はいたのか?
結論、お子さんはいませんでした。
山口さんは、著書『李香蘭 私の半生』のなかで、イサム・ノグチさんとの
結婚と離婚について、『子供ができなかったのも遠因かもしれない』
と書かれていました。
山口さんを調べるうちに
激動の人生を送られていましたので、
その一部ですが、ご紹介します。
山口淑子の経歴

名前 山口淑子(やまぐち よしこ)
中国名 李香蘭 (りこうらん)
生年月日 1920年2月12日
出生地 中華民国奉天省
本籍地 佐賀県
山口淑子さんは、日本人の女優、政治家です。
中華民国の奉天省(現在の中華人民共和国遼寧省)北煙台で生まれました。
本名は、大鷹淑子(おおたかよしこ)で旧姓が山口です。
中国北京にある翊教女学校を卒業後、
1938年に日本人でありながら中国人の女優『李香蘭』(りこうらん)
としてデビューされました。
映画『白蘭の歌』『志那の夜』に出演し、日本でも爆発的にヒットしています。
戦後、日本に戻った山口さんは、本名の山口淑子で女優業を再開されます。

映画や舞台で活躍され、1951年に彫刻家のイサム・ノグチさんと結婚されます。

すれ違いの末に離婚、その後、1958年外交官の大鷹弘さんと結婚し
女優業を引退されます。

その後はマスコミに一切姿を現さなかったのですが、フジテレビのワイドショー
『3時のあなた』の司会者で、1969年に芸能界へ復活を果たされます。
※西川清(にしかわきよし)師匠とヘレンさんもお若いですね。

1974年、田中角栄の支持を受けて自由民主党より参議院議員選挙に
『大鷹淑子』の名前で立候補して初当選、3期18年の議員生活を送られます。
環境政務次官などを務められ、1993年には勲二等宝冠章を受章されています。

2014年、満94歳でお亡くなりになられています。
山口さんの人生はこんな少ない行でおさまりませんでした。
超圧縮させていただいていることをお許しください。
山口淑子とイサム・ノグチのあいだに子供はいたのか?経歴まとめ。
激動の昭和史と生きた山口淑子さんと表現されていた記事もあるくらい
激動の人生を送られた山口淑子さん。もっと深堀りしてみたい衝動になりました。
子供がいたら、また違う人生だったのかな。
