広島平和公園のモニュメントと言えば『平和の灯』を思い浮かべるひとが多いと思われますが、有名な建造物のひとつに平和大橋があります。この橋は、アメリカ人のイサム・ノグチ氏がデザインされた作品です。今回は、平和大橋に加えて、西平和大橋も含め、それぞれの角度からの画像をアップしてみました。

まずは、地図で位置を確認です。
東西に伸びる平和大通りから平和公園へのアクセスには、両方の橋は欠かせないものとなっているのがわかると思います。
平和大橋 (全長は約86m)
それでは早速、平和公園から平和大橋へ向かいます。


欄干のフォルムはこんな感じです。
歩道の拡張工事が完了しています。

石碑がありました。文字起こしをしてみました。
平和大橋
欄干のデザインの由来
「平和大橋」という名称は「平和大通り」とともに、昭和26年(1951年)11月に一般公募によって決定されたものです。この平和大橋と西側の西平和大橋の欄干は、アメリカの彫刻家イサム・ノグチ氏(1904~1988)が設計し、昭和27年(1952年)3月に橋が完成しました。
イサム・ノグチ氏は、日本とアメリカという二つの祖国を持ち、激動の時代を生きながら、各所で数多くの著名な作品を残しており、モニュメント、庭や公園などの環境設計、家具や照明のインテリアから舞台美術まで、幅広い活動を行った世界的にも名高い芸術家として知られています。
平和大橋の欄干について、イサム・ノグチ氏は、
設計の際、私は、
建設の理念、
すなわち新たに自己の生活を建設する者の
特に再建広島の理念を
伝えるものとすべきであると考えていました。
従って、私は、
建設を意味する名前をその橋に付けたいと思います。
と述べており、「つくる」と命名しています。
イサム・ノグチ氏は、もともとこの橋を「いきる」と名付けていましたが、同じ時期に、「生きる」という映画が公開されていたたえ、「いきる」から「つくる」に変更したというエピソードがあります。
なお、西側の西平和大橋の欄干は、離別の理念をもって「ゆく(「しぬ」から変更)」と命名されています。

橋を渡る途中、中央から原爆ドームへ向かった景色です。
残念ですが、原爆ドームは見えないところでした。

渡りきったところです。あれっ、反対側は漢字で平和大橋と書かれていました。

欄干のフォルムはこんな感じです。そして横断歩道を渡って反対側へ、

渡ったところです。こんな感じのアングルです。ひらがな?

そして橋を渡りました。そして漢字の平和大橋?

平和大橋は以上です。
西平和大橋 (全長は約101m)
平和公園を右に見て歩きます。お次は西平和大橋です。


昭和27年(1952年)に造られているのですね。

そして渡りました。こちらには石碑などはありませんでした。

代わりではありませんが、リバーウォーク、散歩道の案内があります。ご参考に。

そして横断歩道を渡りました。

このフォルムも特徴があって良いのではないでしょうか。

そしてもう一度橋を渡って終了です。

そして平和公園に戻ってきいました。快晴です。

最後に原爆ドームと広島平和都市記念碑です。